自己紹介④
山口 博士
2019年にブログを書き始めたのですが、
な、なんと読み返してみると、自己紹介③からの続きが書けていなかったので再開してみようと思います。
少しだけ。
誰かに読んでもらうのが目的ではなく、あの時代自分が何をしていたのかを自分自身で振り返るために記してみます。
③は18才で高校を卒業し、
初めて家を出て中国に渡りホームシックになってオドオド、ビクビクしている留学生活が始まったというとこで終わりました(´;ω;`)ウッ…
僕の通った学校は、上海からはるか西の都 西安市(電車で3泊)
漢民族も多いですが、他の民族の方も大勢いました。
埃(すなほこり)が多く、年中乾燥している印象が今でも残っています。
冬は寒さと乾燥との闘い!
授業は午前中のみ。
午後は自主学習という名の自由時間。
授業は全て中国語。何を言っているのかサッパリ分からん。
言葉が分かる人からすると、ほんとに単純な単語と文章を繰り返し話す時間。
先生は厚底メガネをしている男性だったのが思い出されます。
ピンクのシャツで髪の毛ボサボサ。
確か、タン老師。
漢字が思い出せない( ノД`)シクシク…
授業の後は寮の裏が市場になっているので、そこで昼飯を仲間と食べて
買い出ししたりします。
刀削麺(トウショウメン)など麺類、蓋飯(ガイファン)という、白飯に炒めたおかずが乗っているもの。
結構美味しかったです。
しかも安い!
市場では路上で鴨や鶏が売られていて、その場で首を切られて血を抜かれ羽をむしられてお客さんに渡していました。毎日の光景。
中国の将棋 象棋(しゃんちー)を路上で市民が昼間から遊んでいます。
普通です。
街中は口喧嘩も多く、
ジャッキーチェンが出ている映画のような、においが独特の市場。
普通です。
その市場はもう無いと、だいぶ前に聞いた覚えがあります。
区画整理で無くなったとか。
バスに乗って、西安市の中心街にも行きました。
スリにも遭いそうになった。
闇で兌換してるおばちゃんと交渉して日本円を中国元に交換。
当時は日本円が高く元と交換してもらえた時代。
西安市は遥か昔、歴史ある長安の街で雰囲気が残っており、たくましい人ばかり。
タクシーもマナーなんてものは無い。
譲り合い?無い。
マナーが無いのがマナー(;'∀')
先日、西安市の現在の写真を見させてもらいました。
都会です。
あの埃まみれの街ではなくなっていました。
思い出にある、普通だと思っていたあの光景とは違いました。
あの当時の西安市、夜は露店が路上にあふれており、
時々仲間とシシカバブーを食べたりしてしました。
『不衛生だから食べるな!』と言われているのに。
自転車のホイールに刺した羊の肉を路上で火あぶり、香辛料たっぷりという独特の味。
案の定、次の日は腹が痛い。
当然、水は水道水は飲んではだめ。
ペットボトルの水もあるが、ほんとにキレイな水なのかは分からない。
かならず沸騰させてからじゃないとダメ。
シャワーの水も口に含むだけ。飲むのはダメ。
たくましい中国人の中で、数か月もすると僕にも多少の変化が。
ドラゴンボールで孫悟飯がピッコロに育てられる期間のように(笑)
あの当時、僕を育ててくれてのは、間違いなく中国の人々なんです。
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